SURPRISE REALIZE

アラサー保育士が好きなことを書くブログです

「シン・ゴジラ」を改めて自分なりに考えてみる

 

 

 



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公開後発売されたカプセルトイ

この蒲田くんもかなりの衝撃だった

 

 

はじめに

この記事を執筆した2022年6月1日時点で、庵野秀明氏監修による空想特撮映画「シン・ウルトラマン」が公開されている。現状はウルトラマンの話題が世の中を席巻しているが、そもそもの始まりは?と一旦立ち止まってみると、やはり「シン・ゴジラ」の存在は無視できない。そこで本記事では筆者の実体験を元に、「シン・ゴジラ」という作品について今一度考えていきたいと思う。

 

シン・ゴジラ公開までのあれこれ

シン・ゴジラ」が公開されて早いもので6年が経とうとしている。当時を振り返ると劇場公開までの不安と期待が入り混じったあの感情や、劇場で作品の全貌を目の当たりにした衝撃は、あの時でしか感じられなかったものだったんだろうと思う。

 

筆者は当時大学生。それまで庵野秀明という人物の作品はエヴァンゲリオンシリーズをTVアニメ、旧劇場版、新劇場版と順を追って視聴済みであったが、それ以外の作品には全く触れていなかった。氏の熱烈な特撮愛については認知していたが、アニメ畑の人が本当に特撮を撮れるのか?映画の興行という面で大コケしないか?という不安が劇場公開まで常に付きまとっていたことは今でも覚えている。SNSを封印し公開2日目に友人を連れ立って実際に作品を見ると・・・

 

頭をぶん殴られた感覚

衝撃だった。圧巻だった。こんなに見事な作品があっただろうか。2004年から休眠状態だった国産ゴジラ作品をあそこまで見事に目覚めさせることができるとは!  とまさに大興奮で劇場を後にしたのであった。その後は1人で作品を鑑賞し直し、別の友人を誘い、父親も誘い、計4回を劇場で見た。周囲の身近な人たちからしたらはた迷惑な奴であったと自認している。(おそらく好きな方からしたら少ない方なのだろうが)

 

庵野秀明氏による怪獣特撮

シン・ゴジラ」という作品を自分なりに読み解いてみると、東宝特撮への愛に溢れていたと感じる。既にたくさんの人たちが考察を重ね、的確な批評も数ある中で改めて書くかとは無いのかもしれない。しかし、それでも筆者が感じたことを書き連ねていきたい。  

 

国産ゴジラが復活するにあたって無視出来ないのは2014年公開の「GODZILLA」である。この作品以前は海外のゴジラといえばエメリッヒ版であり、やれマグロだの、こんなのゴジラじゃないと言われることもあった。(筆者はこの作品大好きですが、FWでは公式がジラと改称してゴジラと認めず瞬殺でしたね)しかし、ギャレス・エドワーズという人が撮った所謂ギャレゴジは、ガッチリした体躯に放射能熱線という、日本人がイメージするゴジラをハリウッドナイズして、形にしてしまったのだ。思えばここから怪獣特撮の復活の兆しはあったのだろう。

 

ハリウッドのVFXや大規模なセットで撮影された映像が先にお出しされた状態で、制作規模で劣る作品を作ることは、当然日本の作品の方が分が悪いのだが、実際に完成した「シン・ゴジラ」という映画は画作りや技術面で迫力満点の映像を見せてくれたのだった。実景だと思ってた街並みや、戦車、ヘリコプターが実はCGで作られていたり、その真逆で崩れる家はミニチュアを壊していたり、最新の技術と伝統の様式美がうまくハイブリッドされていて、日本の作品だってすごいんだと実感する場面の連続だった。

 

そして、現実世界に置いて怪獣というフィクションの存在によって災禍がもたらされたらどうなるのか、とことんリアリティに拘って練られた話の運び方にも注目せざるを得ない。震災の記憶が生々しく残るあの時代に、ソレを想起させるような場面がありつつも、国家の非常事態という困難に立ち向かう人々の姿を描くことで、観客一人ひとりの気持ちを奮い立たせたからこそ、あの大ヒットに繋がったのではないだろうか?

 

総括

シン・ゴジラ」の大成功は当時の世相に合わせて、観客にも作中の肌感を疑似体験させるだけの没入感があったからであると言える。ただし、それのみではあの大ヒットには繋がらなかっただろう。庵野秀明という人物が本当に怪獣特撮が好きだから、真摯に向き合い趣向を凝らした画作りをしたからこそ、観客にも堅苦しい御託は抜きにエンタメという形でダイレクトに響いたのではないかと考える。